2009年05月18日
市民討議会推進ネットワークについて
構成メンバーはJC(青年会議所)の現役・OBが三分の二、残りが市民討議会の研究をしている大学の先生や学生・一般市民の方々です。現在活動としては代表の吉田純夫や事務局長をしている私が講演や講義を行ったり、各地市民討議会の運営アドバイサーを引き受けたりしています。続きを読む
2009年03月22日
市民討議会ことはじめ 〜2007年編〜
2007年は私個人にとってもたいへん重要な年となりました。と言うのは、この年に三鷹市以外の行政複数がこの市民討議会の開催に着手し、さらなる発展の土台を築きあげたからです。
ご存知の方も多いと思いますが、良い意味で三鷹市は秀でた存在として見られることが多く、「それは三鷹市だから出来たんだ」と言われることがあります。そのため2007年は「三鷹市以外の市区町村でも市民討議会は開催出来る」事が証明された年と言えます。
私は当時青年会議所所属の最後の年(青年会議所は40歳で卒業)で、最後の最後まで市民討議会発展の素地を作るべく、東京ブロック協議会(東京都内全青年会議所の集合組織)の政治行政政策委員会の委員長に就任しました。そして、都内で開かれる予定だった行政JC共催の3つの市民討議会(多摩市、日野市、町田市)を中心に、市民討議会実行委員会の傍聴や時によっては各地青年会議所のサポートとして市民討議会開催のアドバイスを行いました。もちろん、出来るだけ討議会当日は傍聴する様にしました。続きを読む
2009年02月23日
国立市の市民討議会 南の風トーク〜くにたち市民討議会〜が開催されました
参加人数は21日は36名、22日は34名でした。1000人の無作為抽出者への参加呼びかけに対して参加の返答は43名、当日までのキャンセルが3名、当日これなかった方が4名でした。
開催時間は午前9時半〜午後5時。1日3課題、2日間で6課題を討議しました。
南部地域は自然の豊かさが残り農業を営む方が比較的多い地域ですが、道路の未整備、区画整理や用途地域の問題、自然の減少などの課題があり、整備されて豊かに見える北部と比較して「国立市の南北問題」と言われることもあります。内容的にはかなりシビアな課題も討議されました。過去国内で開催された市民討議会の中でもかなり「深刻な課題」を取り上げたと言えます。しかも初回開催に。
さて、今回の市民討議会ではいくつか特徴的なことがあります。主だったものを以下に3つ挙げます。
続きを読む
2009年02月16日
市民討議会ことはじめ 〜2006年編〜
2006年になると市民討議会について興味のある地方自治体や全国の青年会議所から問い合わせが来るようになりました。自治体は新しい市民参画の手法としての導入を模索し、青年会議所は市民参画による地域への関心の高まりとそれによる地域の活性化の可能性を探っているように見えました。
(社)東京青年会議所に続いて(社)立川青年会議所もこの年に市民討議会をおこないました。行政との共催とはなりませんでしたが、独創的なアイデアをいろいろと導入したコンパクトで実施しやすい市民討議会を開催しました。そのアイデアの一つが無作為抽出を「ポスト投函方式」で行う事でした。
市民討議会で一番お金がかかるのは参加者への参加費のお支払ですが、次にお金がかかるのが無作為抽出の際の郵送費です。仮に封筒代と印刷物・郵送費が1通100円であっても1000通送ると10万円です。また、住民基本台帳を閲覧できないと発送するための住所さえ手に入りません。このため、市内の番地を全てピックアップしてそれを無作為抽出して、同番地内にある全ての家に参加を呼びかける封筒を投函しました。投函された世帯のうちどなたか1名が参加できます。このやり方は労力はかかりますが経費はかなり削減できます。果たしてこれが無作為抽出なのかどうかという議論はさておき、行政と共催できない(=住民基本台帳が使えない)場合にはたいへん有効なやり方となっており、各地青年会議所で導入されています。
さて、この年でもっとも特筆すべき出来事は三鷹青年会議所と三鷹市が共催した「みたかまちづくりディスカッション2006」でしょう。
2009年01月22日
市民討議会ことはじめ 〜2005年編〜
この年になると、市民討議会は東京青年会議所の政治行政政策委員会の中から徐々に外に向かって飛び出していきます。
まず、2005年政治行政政策委員会の委員長であったら相原邦康氏(栄屋畜産株式会社 代表取締役)が前年の私の活動を引き継いで2月に東京青年会議所のメンバーに呼びかけて「模擬討議会」を開催しました。この時の内容が現在も市民討議会のやり方に色濃く反映しています。
2009年01月07日
市民討議会ことはじめ 〜2004年編〜
新年になったこともあり、ここらで市民討議会のはじまりについて語っておきたいと思います。
もともと「市民討議会」は2004年に社団法人東京青年会議所の4月例会の「国民一人一人が創る地域主権型社会」が始まりです。当時私は政治行政政策委員会で例会担当の副委員長をしていました。JCにはありがちですが、委員長があまりにこの分野に疎かったので、中味については私と担当理事の浅沼洋一氏(株式会社全新企画社 代表取締役)が中心になって作りました。
この時はまだ、「プラーヌンクスツェレ」にはあまり着目しておらず、市民討議会の開催方法についても「これから研究をする」段階でした。ちょうど当時出版された「市民の政治学」(篠原一著:岩波新書)を読みながら、道州制の基礎となる地域主権型社会というものをどのように創造すべきかあれこれ模索していました。
2008年06月05日
東京外かく環状道路中央ジャンクション三鷹地区検討会を傍聴してきました
2008年04月17日
市民討議会ってなに?
ドイツで70年代から始められた住民参加への模索は東西ドイツ統一後の90年代になって非常に盛んになりました。その中で使われた手法のうちでたいへん有効性が高いとされているのが「プラーヌンクスツェレ」です。現在青年会議所が中心になって進めている市民討議会はこのプラーヌンクスツェレをもとに作られています。
詳細については私が事務局長をしている二つの団体のサイトで確認してください。